15.
小さい頃、彼は宇宙飛行士になりたかった。
飛行機のパイロットにもなりたかったし、埋もれた都市を発掘する考古学者にもなりたかった。
子供の夢だ。
十五の彼はまだ子供で、今でもどこかでぼんやりと、そんなことを考えているかもしれない。
けれど、父親と同じ道を志すことは、ないだろう。
恵まれた子供であると、今も人は言う。
たしかに未来への選択肢は豊富だ。
彼が望むなら、熱帯雨林の奥深く、忘れ去られた太古の神殿は人類のDNAに隠された秘密を詠い、
亜光速の翼はついにオールトの雲を脱し、極大無限の多元宇宙を駆けるだろう。
あるいは、彼の帰りを待つ、小さな、幸せな家族。
だが、彼は何を望むのか。
十五になるまでに、五回転校した。
今の街もいつまで留まれるのか、彼はわからない。
16.
その夜、ついに地獄の門は開け放たれ、溢れ出ずる有象無象魑魅魍魎。
中世の騎士様とドラゴンはシスの暗黒卿と手を携え、テキサスの肉屋の隣はクリスタルレイクの殺人鬼。
ディメンター、ディセプティコン、ヤックデカルチャー。
ガンダムの区別なんてわかんない。
ブルースは充分、うんざりしていた。
履き慣れないハイヒールのおかげで足がじんじん痛む。
どこか隅の方で仮装集団の馬鹿騒ぎを見物していればいいと思ったのに、
手を取られて喧噪の真ん中に引っ張り込まれ、ぼんやりしてるうちにゾンビやミイラ男にセルフィーを撮られている。
今まで口をきいたこともなかった生徒に肩を抱かれ、フラッシュが瞬いたかと思えば、今度は別の誰かと。
地上最速の15歳とやる気のない狼男は、けらけら面白がるだけで彼を助けようとはしない。
(二人のハルは何の仮装をするか最後まで折り合いが付かず、結局間に合わせの定番モンスター。)
(赤ずきんに撃ち殺されそうなもう一人の狼男は、先程から姿が見えない。)
彼は、目がまわりそう。
騒々しいのは好きじゃないし、写真を撮られるのはもっと好きじゃない。
が、子供のやることだ。
彼自身、ふざけているから血塗れのドレスなど着ているのだし、
ハロウィンの夜に同じ年頃の子供達と浮かれ騒いだ経験などなく、それなりに楽しみにもしていた。
しかし些か、くたびれた。
手洗いに行くという口実で怪物達の輪から抜け出そうとすると、
「お嬢ちゃん、それ着て一人でダイジョーブ? 誰かに手伝ってもらえばー?」
狼男のその言葉を面白がって誰も彼も好きなことを口々に。
これだから子供は。
じろりとハルを睨めば、やる気のない狼男はにやにやしている。
ブルースは片眉で不興を示した。
が、少女の形をした少年は、ものを言うかわり、周りを囲む怪物達の一人一人、値踏みでもするように顔を眺めていく。
その眼差しは、唇に淡く浮かべる色は、少女達のそれをあからさまに模倣するもので、
誇張された擬態の、けれど瞳は冴えた藍。
怪物の皮の下、少年達の不器用な思春期など容易く射竦められ、敵うはずもない。
“少女”は嫣然と微笑み、ひとりで立ち去る。
その背中にハルは言った、
「お母さん、そんな子に育てた覚えありません!」
煙吐く魔女の釜のような有様の体育館を出ると、ブルースはひとり、
ゴーストやゴーストバスターズのうろつく廊下を歩き出す。
さて、どうしようか。
考えながら歩く彼に、誰かが声を掛けた。
名前を呼ぶそれは、小さな、聞き間違いかと思うほどの声で、彼は数歩進んでからようやく振り返る。
「ハル」
そこにいたのだと初めて気付いた狼男は、何故だかいつも泣きそうな目をしていて、
不思議に思えるほど二人のハルは、中身が似ていない。 (しかし、やはり双子だと思う時も稀にある。)
「ど、どこに行くの?」
悲しい狼男は、たった数個の人語を発声しようとして舌が縺れ、目を合わせられずに俯く。
その顔が真っ赤になっていく様を、少女は黙って見つめていた。
突然、ブルースは片手をハルの肩に置いた。
びくっと固まって動けない狼男に構わず、もう片手を自分の踵にやると、
華奢なピンヒールのパンプスを足からころんと落とした。
そして、もう片足も。
「ふう」
楽々と溜め息。
裸足になった少女は床からパンプスを拾い上げ、にこりとする。
「ちょっと一人になりたくて」
狼男は、ただその笑顔が、まるで氷の世界に花々が咲き乱れるようで、
惚けている間に少女の姿は消えていた。
カボチャのランプもキャンドルも、いつか夜闇に変わり、
怪物達の祝宴を離れ、人気のない校舎の廊下を、白い影が歩く。
清楚だったドレスは血で汚れ、腰まで届く金の髪も赤く濡れた。
哀しみのあまり、全生徒を虐殺した、キャリー・ホワイト。
が。
脱いだパンプス片手に飄々と闇を散歩するのは、健康優良社会不適応少年で、
ドレスを着ていようが用足しを立って済ますのは、別に主義でも何でもない。
静けさと、自由になった爪先に、彼は暗い校舎を奥へ奥へ。
後ろで何か聞こえたような気がした。
彼のような物好きが他にもいるのかもしれない。
ちらりとそんなことを考え、けれど振り返りはしないブルースは、
子供のハロウィンにうんざりしていたはずが、口中で蕩ける飴玉の甘ったるさに、足はふわふわと階段を。
天から差す仄かな光に導かれ、暗闇の螺旋を上へと。
やがて大きな窓に、月。
金色の霧を纏って輝く、美しい満月が、東の空から彼を覗いていた。
怪物の夜に相応しい、大きな飛行船のような月に、彼は窓辺で足を止めた。
同じ夜空を、人は見上げるのだろうか。
彼の生まれた街で、わがままな彼の帰りをずっと待つ人の空にも、月は。
あとで手紙を書こう。
馬鹿馬鹿しくて騒々しい怪物達の写真を添えて。
ブルースはそろそろ散歩を切り上げて皆のところに戻ろうと、後ろを何気なく振り返った。
月明かりの差す螺旋階段は、まるで自分が巨大なオウムガイの殻の中に立っているようだ。
けれども、彼は一人ではなかった。
曲線の先の、闇の中、誰かがじっとこちらを見ている。
それが誰なのか分かった瞬間、彼は嫌悪に顔を顰めた。
背筋を粟立たせたものが怖気であるなど、彼は認めない。
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ここから先はまだお見せできないのです。
男の娘が好きなんでなく、剃毛してヅラもかぶった男の子がトイレは立ってする状況が好きなだけです。
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