ブルース・ウェインは会社にとってお飾りの、無能なCEOである、と一部で言われる所以は、
途切れることを知らない艶めいたゴシップによるところも大きい。
が、どちらかといえば、彼は "シンデレラの王子様"だろう。
絢爛の美女達が、ガラスの靴欲しさに自分の足を血塗れにする、その真ん中で、
にっこり微笑みながら。
シンデレラのことも覚えてない。
この世に生まれる前から、望み得るあらゆる恩恵を授けられた人間の
端整な、柔らかな、傲慢。
その瞳が、ぱちりと開く。
睫毛の影が、青味を帯びてぱちりと瞬く。
次の一瞬には、明確な苛立ちを帯びる。
「すまないが、君のジョークはどうも、心が痛む」
「え、なんでこれがジョークになんの」
「比喩にしても腹が立つ」
「だからなんで怒んだよ」
小首を傾げるのは、真夜中に突然現れた自称未来のネコ型万能ロボット。
つまり、正体不明の不法侵入者。
対峙するのは、パジャマ姿の仏頂面。 今年で二十五の万年不眠症。
「君はいったい何なんだ」
「だから、ドラ」
「止めろ」
「だって ド 」
「僕が悪かった。 その単語は二度と口に出すな」
「いいけど」
存外素直に頷くが、やっぱり何故怒られてるのか分からない、という顔で。
眉を顰めるブルースはますます機嫌悪く。
「……君の目的は何だ」
「おまえの子守り」
「ほう」
「要は、おまえがぴーぴー泣きついてくるのを助けりゃいーんだろ?」
「それは頼もしい」
「で、鉄人兵団と戦ったり魔界大冒険したりする!」
「胸が躍るな」
「あとは、三つの願いを叶えるんだっけ?」
「なら、一つ頼みを聞いてほしい」
「何でも言ってみな」
「今すぐ帰れ」
「それは聞けません。」
「何故」
妙にヒーロー然とした不審者は、ふざけるでもなく答えるのだ。
「俺は、おまえの、面倒を見に来てんの」
この世界には、神も悪魔も魔法使いも、存在する。
マッドサイエンティストが巨大破壊兵器を持ち出せば、真紅のケープのエイリアンが颯爽と現れ、
ビッグベリーバーガーのCMには、未来のヒーローだとか吹聴するやたらキラキラ眩しいのが出演している。
だがしかし、ドラえもんは世界中の子供達に夢と希望を与えるために、存在するのだ。
ドラえもんは、ブルース・ウェインの所には来ない。
絶対に。
そんなことぐらい、馬鹿馬鹿しいほど理解している。
「どうも、当惑させられるね」
気怠そうに足を組み替え、僅かに視線を流すのは。
無機質な人形の目玉。
「わざわざ言うこともないだろうが、この屋敷に子供はいないよ。 勿論ベビーシッターも必要ない」
「おかしいな、俺の目の前にいる奴の世話を頼まれてんだけど」
「生憎間に合っている。 いったい誰が君にそんなことを」
「んー?」
と、考え込むように胸の前で両腕を組み、
けれどもすぐに、
「忘れた」
いっそ清々しい歯切れの良さ。
「いい加減帰ってくれないか」
「待て! あー、たしか……うん、忘れた。」
「何故忘れる」
「んなコト言われてもなぁ、覚えてないのは答えられないだろ?」
「……どういう状況で君は頼まれた」
「えーと、知らない内に」
「どんな事情で」
「素面だったと思う」
「君はどこから来た」
「玄関、じゃなかったな」
「"未来"?」
「ん」
「正確には」
「ンな細かいコト忘れた」
「何でも忘れるんだな」
「そんなことないぞ? ただちょっと、思い出せないだけだ」
「君はその理由も知らないのに他人の家に夜更けに押しかけるのか」
「気付いたら朝の5時に路上でぶっ倒れてたよりはマシだろ」
「つまり、」
「つまり?」
「君はやはり、自分の素性も明かせない不審者ということになる」
「いや、不審者とかドコが」
「充分資格があると思うが、まさか記憶障害だと主張したいのなら、聞こうじゃないか」
「記憶障害? 俺が? おまえ面白いコト言うなー」
「君には負ける」
無表情なそれは、揶揄ではない。
ただ、何も信じていただけなのだ。
そもそも、誰のことも信じていない。
真実がどうであるかなど、知りたくはない。
世界は万華鏡の乱反射。
あらゆる像は歪み、虚構と虚飾とが色鮮やかに狂い乱れる。
"ブルース・ウェイン"は、唇に冷たい弧を描き、
骸の仮面を中心に、綺羅で着飾る死霊達は享楽な輪舞。
「別に、大した問題じゃない」
けれど、来歴も知れない男は、不思議なほど明瞭なのだ。
「俺はここにいて、おまえはブルースだ。 それだけ分かれば俺は良い」
その顔を、ブルースは視線だけで見上げる。
身に纏う薄光と、胸元に浮かぶシンボル。
マスクの下の青年は、良く見れば、微かに透かして瞳の色が分かる。
彼の放つ光と同じ、澄んだエメラルドグリーン。
「……良く分からないよ」
ふ と 溜め息は
薄雪のように空気に溶け
「名前は」
「ド 」
「違う」
「俺の名前? さあ、分からない」
「それも忘れたのか」
「あったような気もするし、無かったような気もする……。 ん、忘れたな」
きっと いらなかったんだろ、と。
簡単なことのように告げる。
ブルースは答えず、頬杖をしながら そっと視線を外す。
どこを見るでもない、ガラスの眼球の奥。
陽炎が遥かに揺らぎ
消えた。
「……君の話は面白いよ。 けれど、そろそろ終りにしよう」
「何が?」
「申し訳ないが、僕が言えることはやはり、一つのようだ」
「おまえ今、帰れって言おうとしてるな!」
「そうさせているのは君だよ」
「だから俺は、」
「君が何だろうと、たとえ"本物"だろうと、僕には関係無い。 今すぐ出て行ってくれ」
どうということもない。 結局は、当然の結末だ。
突然光の中から現れた、言動が不可解な不審人物(あるいは、人の形をした何か)の話を、
人は普通、真実とは受け止めないし、信用しない。
係わり合いを避け、速やかにお帰り願う。
なにも彼が特別なのでない。
けれど、ブルースは。
見据える視線の先を、静かに睨む。
凍える瞳は常夜の闇の底。
やがては幽冥にただ独り消え果る影のように。
すると。
自称まったくネコ型でないネコ型万能ロボット。
あるいは。
真実として 遠い未来から彼の"願い"を叶えるために現れた、奇跡の人は。
俯くブルースの頭を、そっと撫でた。
真っ白いグローブの指が、黒髪を柔らかく梳き、そして からかうようにかきまぜる。
訳が分からずブルースが顔を上げると、
「おまえ、ややこしいコト考えてんだろ」
光を透かして、笑った。
まるで、迷子の名前を言い当てたように。
その刹那、ブルースは奥歯を軋むほど噛み締め、白い掌を払い除けた。
双眸は青い雷火の鋭さ。
憎悪にも似た鮮やかな、慄くような激情が、自身すら切り裂きながら現れるように。
言葉ではなく、言葉にもならず。
その一瞬の激昂が、何を秘め隠そうとしたのだとしても、
冴々と空に凍えて、月光は沈黙。
やがて、青褪めた声が呻く。
「君の、そのリングを見せろ」
「アルフレッド!」
主の声に、執事は闇の中から進み出た。
無論、ライフルの銃口は侵入者に向けたままである。
腕でも足でも、主の一言で即座に撃ち抜くだろう。
しかし、
「暫くこれを家で飼う。 面倒を見てくれ」
これとは、エメラルド色のリングを指にはめ直す、一見"ヒーロー"。
「旦那様」
「言い間違えた。 この男は私の客だ。 ゴッサムに着いたばかりで宿がない。
部屋ならこの屋敷に余っている。 構わないだろ」
「承知しました」
「そのデカイ銃どうしたの。 なんかあったの?」
「雉撃ちの仕度をしていたもので」
「ふーん」
「名前はハルだ」
ブルースは、爪先でぷらぷら遊ばせるスリッパに目を落とし、面白くもなさそうに。
「ハル・ジョーダン。 悪くないだろ」
「左様で」
「悪くないけど、なんで ド」
「黙れ。 もう一度その単語を口にしたら今度こそ追い出す」
「さっきから何がそんなに気に入らないんだよ。 ワガママな奴だな」
「坊ちゃまが奔放にお育ちになったのは、私の責任です」
「え、ゴメンナサイ」
「坊ちゃまは止めろ」
眉を顰めてブルースはベッドから立ち上がる。
すると、"ハル"は半歩下がってその姿をまじまじ眺め、ぽそっと、
「意外とデカい……」
「子守りが必要なのはどちらだろうな」
「何言ってるか全然わかんない」
ウェイン邸の忠実なる執事は、そんな二人の遣り取りを眺めつつ、
これは夜食の仕度をするべきかと厨房に思いを馳せる。
しかし、
「アルフレッド。 私はこれから出掛ける。
こちらのジョーダン氏は、そのリングの力でどんなことでも可能だと言うので、
いったいどの程度 "どんなことでも"なのか、証明してもらう」
「リングと、俺の"意志"な。 形を成さないものに形を与え存在させる。 このリングは、
……んーと、何だっけ?」
「ドッグタグだな」
「まあいいや。 得意なのは単機強襲です。」
朝はまだ来ない。 夜はまだ終わらない。
眠らない子供達は遊び足りず、千夜一夜の大活劇。
アルフレッドの務めは、家路の灯りを絶やさぬことだ。
「では、朝までに御戻りください。 ジョーダン様の御部屋を調えておきますので」
「どうもヨロシク」
「頼む」
「それで、お二人はどちらへ」
パジャマ姿のウェイン家当主は、考えるような素振りで、しかし冴え渡る藍色の瞳。
肩越しに窓の彼方を振り仰ぎ、
「奇麗な月だ」
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コンニチワ編。
結局月どころか太陽系の端まで行くピクニック。
坊ちゃまの一人称は「私」なんだけど、親しくない人には「僕」と言う猫かぶり。
しかし、ドラえもんてのはある日突然現れるもんです。
前にアップしたのに書きましたが、リングにシリアルナンバーがあり、それを置き換えたりアナグラムしたりで名前を付けてやりました。
名前ないと困る。
坊ちゃまはドラえもんに夢を抱いてるので、絶対にドラえもんとは呼びたくないのです。
でもドラえもんなんだよ。 ほんとだよ。
ビッグベリーバーガーのCMに出てるのはもちろんブースターゴールドだよ。
だから、ヒーローもヴィランもいる世界です。
ジャスティスリーグはあるかもしれないけど、メンバーは違うはず。
ちなみに。
坊ちゃまはのスリッパは、高級クマさんスリッパ。 冬なのでふわふわもこもこ。
安定性にも定評があり、常時と遜色ない蹴りを放つことが出来ます。
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