『月のきれいな夜でした。』
かそかな、静かな夜闇と。
深い沈黙が造り上げた、荘重な屋敷の奥。
大きなベッドと、いい匂いのするシーツと、温かなブランケットに包まれて、
ガラスの眼球二つ。
見つめる窓の、青褪める月光の入射角。
ふんわりした枕に、夢のようにうずもれて
黒髪は微動だにせず。
頭蓋の内の、時計仕掛けは眠らない。
戯れに位置を計算する、南天を巡る冬の星座。
昨日は、夜が明けるまで書庫に閉じ籠もった。
一昨日は、七日七晩続けて屋敷に帰らなかったのを、執事に叱られた。
そして、たぶん今日も、ブルースは眠れない。
いつ頃からか。
彼がゴッサムに戻ってからか。
自分の生まれた街など忘れたように、様々な国や都市をあちらこちらと放蕩した末、
去年、遂に首根っこを掴まえられ、ウェインエンタープライズのCEOに据えられた、
というのは、有名な話。
以来、彼は。
この広い、空漠とした屋敷で暮らしている。
世界屈指の大富豪ともなれば、さぞ華やかで豪勢な暮らしぶりだろうと人は思うが、
屋敷には、身の回りの世話をする執事一人しか置いておらず。
(といって、執事は決して主人に不自由な生活などさせないが。)
両親は幼い頃に他界し、兄弟もない。
最後のウェインは、今年で25歳。
寂寞とした夜闇も、地の底のような静けさも
もう慣れた。
作り物めいた瞳が
ゆるりと一つ、瞬き。
猫のように音もなく、ブランケットから抜け出す。
眠りが訪れないのは、きっと遊び足りないのだ。
坩堝の街の終わりのない鬼ごっこ。
闇の向こうから、名前を呼ぶ。
と、そこまでは、いつもの夜だった。
どこから入ってきたのか、小さな蛍火が一つ、
暗い部屋の真ん中あたり。
知らぬ間に、ふわり
ブルースは、右と左の爪先をスリッパがゆるく受け止めたところで、気づいた。
凍てつく夜気を逃れ、彼のところに舞い込んだ、冬の蛍。
などと寝惚けはしない。
そもそもちっとも寝てないのだ。
この場合、重度の睡眠障害による幻覚の可能性はあるが。
しかし、闇に浮かぶ儚い輝きは、見る間に大きく眩くなり、
膨れ上がった光球の内部から一気に光が爆発した。
ブルースは目を明けていられず、腕をかざして自分を庇う。
今や何もかも "光"の中。
それは銃火でなく、プラズマでなく、スタングレネードでもない。
暗黒の宇宙から最初の星が生まれるような、奇跡。
(レプトン、クォーク、グルーオン、フォトン、ミュー、タウ、ニュートリノ)
(加速し爆縮する素粒子は時空間の極小の座標核を遡行させ対消滅)
(137億年前に誕生した時間の消失点から放たれた光線は宇宙を貫通する)
(あの子は わたしを おぼえていないだろうね)
ブルースは、光から顔を背け
両目を閉ざす、小さな闇の中。
声を上げず、心も動かさず、
ただ呼吸する。
そうやって 目を背けているが
けれども 彼は
逃げることも 隠れることも できないのだ
何故なら およそ奇跡というものは 人の自由に ならないのだから
ある日突然 目の前に現れる
やがて、世界を焼いた強烈な発光は次第に薄れていき、
ブルースはそっと目蓋を明けた。
そこは彼の寝室で、
彼は元のとおり、ベッドに腰掛けている。
そして、目の前に見知らぬ "ヒーロー"が立っている。
真っ白いグローブの、右の拳が輝くような光を夜闇に放ち、
その身体に纏う、澄んだ翠光。
コスチュームかユニフォームなのか、
一目で直感的に "ヒーロー"と思わせたのは、なるほど、デザインの力は偉大だ。
と、寝間着姿のブルースは冷淡に思考する。
「ブルース・ウェイン?」
頷きもしない彼を、マスクで隠した眼差しが しげしげと見下ろし、
不思議そうに呟いた。
「10歳ぐらいのガキって聞いた気がするけど、最近のガキはずいぶんでかい」
「それが君の探しているブルースなら、人違いだ」
答えた瞳は、玲瓏玉の無感動。
実のところ、目の前にいるのがスーパーヒーローでも、世界的企業のCEOを誘拐しに来た犯罪者でも、
ブルースには、大した違いでない。
「人違い? そんなんじゃない。 やっぱりおまえが、ブルースだ」
謎の"ヒーロー"は、にっと口角を上げた。
マスクの下にいる青年は、ブルースと同じぐらいの年齢だろうか。
目元が隠れているはずが、普段の彼より余程表情が豊かだ。
「……君は?」
問いながら、ブルースはやはり眉一つ動かさない。
何を欲しているわけでもないのだ。
この世界のどんな言葉も、彼を喜ばせることは出来ない。
けれど、彼の受け取った答えは、
「俺、ドラえもん。 ブルース・ウェインていうガキの面倒見るために未来からやって来た。
というわけでヨロシク。」
その頃、ウェイン邸の守護者である執事は、屋敷の内部で異変が起きたことに気づいた。
歴戦の執事は気配に聡いものだ。
センサーは外部からの侵入者を検知していない。 セキュリティシステムにも異常はない。
しかし、方法ならいくらでもある。
執事は、優雅とも言える手付きでアサルトライフルを携え、闇に包まれた廊下に滑り出る。
招かれざる客にお帰り願うのも、執事の務めだ。
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という、完全俺エルス、出会い編。
Year Oneあたりを想定しております。
GL仕様のドラえもんとかすごく想像しやすい気もしてきましたが、続きはこっち。
途中の素粒子あたりは適当ぶっこいてますよ。
んで、コミックなんかでアルフレッドが使うのはアサルトライフルでなく猟銃だと思う。
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